2012年04月04日
なに?
ない、というより考えるようになってしまった人は逆に不幸。
どうでもいいことを考えなければならないほど「心が暇」だというのは苦しい。
どんな哲学も結局「全てが無に帰す(死ぬ)。生きることに意味がない」という結論ありきなわけで、
例えば実存主義を始め哲学の殆どはいかにそこを誤魔化すかということそのものが哲学になってる。
でも今のところそれは、数千年かけても未だに「生きることに対して苦しい言い訳を並べた」に過ぎないレベル。
哲学をやっていて幸せそうな人を見たことがない。
有名な哲学者が発狂したりジサツしたりするのも分かる。
何も考えずに生きられる人が一番幸せ。
頭の体操。暇つぶし。
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ゲーテのファウストに書いてあったのだが、人間は、どうやら、不安、不足、苦難、罪からは、逃れられないようだ。
よって、それらと向き合うために哲学があるのではないか。哲学をもとに生きることは楽しさ、気楽、とは無縁だと思う。
人間としての使命を果たすことではないか?使命を果たす生き方には、哲学はなくてはならない存在だと思う。
人間としての使命は人それぞれだと思うが、使命のない人生は土台がない人生ではないかと思うがいかがだろうか?
学問そのものに実際的なメリットは無い。
学んだこと考えたことを生き様に反映させることで利が生まれる。
哲学はとても役に立つ。
何か悩みがあるとしてそれについて哲学的に考えることで
何となく気持ちが大きくなって憂鬱な気分をごまかせる。
悩みで憂鬱になっているすべての人に哲学を薦めたい。
大きく抽象的に考えて悩みをごまかすんだ。
そうやってごまかしてばかりいるから俺は人として成長しないんだよな。
哲学者は大人として駄目っぽい。
哲学は哲学で慎重にじっくり考えるが、実生活は勘で瞬間的に決めた方がよい。
実生活の問題は深く考えずにサッサとやって中途半端でもいいから早めにかたずける。
ダラダラ考えてタラタラやるほど良くない結果になる。哲学は哲学で時間をゆったりとかけるが。
麻雀でピンフ上がりが結構、良い手かなって思えてくるメリットあるよ
実生活でいわゆる哲学するときみたいな思考スピードだと
流れについていけないわな
実生活ではある程度のスピードも要求されるから少しばかりミス
があっても当然
逆だろ
実生活(仕事)において人間的な勘に頼るのは不可能
常に他人が嫌がらせしてくるんだから
怒りでまともに思考することも出来ない
そんなとき冷静に行動するには、口に出して
ゆっくりと理論を組み立てたほうが上手くいく
感情に頼った瞬間にミスを誘発し
部署を追い出される
おまいら哲学板の住民なんだから、ショーペンハウアーの『幸福論』ぐらい
読んでるだろ。書き出すとキリないから一々説明しないが、如何に社交界に群がる
俗物の人生が哀れで、哲学青年や文学青年の人生が幸福か、これでもかって位
書かれてたじゃないか。あとは自分で嫁。
うっかり深淵を覗いてしまった人間が
現実に帰ってくるための過程が哲学。
仏教哲学ですけど、あきらかに悩みが解決しますね。
解決したそばから湧いてきますけど。しかしそこ空なんで、尽きない悩みと果てしない解決を乗り越えた先に救済があります。
何かを理解したと勘違いしている人と、
結局なにも理解できないんだと認識している人の違い。
哲学はただの言語ゲーム
知る喜び、考える事、考えをまとめる事、思考の軸を持つ事。
哲学でなくともいいが考える習慣が付けば
マスコミに煽られて政治屋を選ぶ事はないだろうに。
バブルもバブルの崩壊ももっと緩やかになるだろうに。
哲学には学問として体系化されてない分野を開拓する目的がある
それこそ歴史的に見れば自然科学である物理なんかもnatural philosophy(自然哲学)と呼ばれてたように哲学の一分野であった訳で
だから哲学がなければ今日の学問は成立し得なかったし、今後の学問的広がりに哲学が貢献しうるものも大きい
最高に役に立たないから逆説的に最高に学問じゃないか
今では当たり前になってる考え方も、哲学者が理論を構築して明文化したことに始まったりしてる。
既存の価値観を否定して、より良い価値観、社会を構築しようとしてきた結果の現在なんだわな。
「この考えはおかしい。このようにあるべきだ。それを実現するにはこういう社会システムが必要なんだ」
ってな具合だぁな。
日常の現象に疑問を持って適当に理由を考えるのが哲学
何か理由があればとりあえず安心する
まあ要は「俺は馬鹿だから哲学の役立たせ方がわかりません」って事だろ
理工系の学問だって役立たせるのは周囲の人間であって
本人は何の役にたつのかわからんなんて事は多々あるのだし
哲学者ってのは医者みたいなもん。
人間の病気は死者が治療するように、社会の病気(システムの不備)は哲学者が治す。
社会システムの何処に不備があるのか?
それを直すにはどういう処置が必要なのか?
そういう診断(提案)をするのが哲学者のお仕事。
>>64
誤字訂正
× 人間の病気は 死者 が治療するように
○ 人間の病気は 医者 が治療するように
科学哲学は割と科学者が先導で議論してきた分野
科学者が「科学とは何か」「科学的であるという事の要件は何か?」という事を考えるのは
意味のない事なのか
科学にしろなんにしろさ、要は「なんの貢献もしねーのに恩着せがましい面をするやつら」なんて、いらねーんだよ
フツーの感覚だろ?
屁理屈をこねくり回すだけだからな
目的がなければ計画すらも立てられない。
休日に出かけようにも、まずどこへ行くかを決めなければ準備もできない。
ふらっと出かけてみることはできるかもしれないが、それにしても小さな目的をその都度設定しなけりゃならん。
「この道をまっすぐ行ってみよう。あの角を右に曲がろう。」ってね。
哲学はこの『目的』にあたる。
まず哲学が何処へ向かうべきなのかを示し、社会学者なりなんなりが目的地にうまくたどり着くには
どういう準備をして、どういう道筋で向かえばいいかを考え、また他の専門化が実際に歩いて目的地へ行って見る。
そんな感じ。
完全に>>1に同意なんだけどさ
レジェンドな哲学者が色々すごいのは分かるけど
最近の哲学者って何研究してどんな成果あげてんの?
正義とか死とかくっだらねー事やってるわけじゃないんでしょ?
>>122
俺もそれが疑問だわ
>>122
これには同意
今の哲学者の思想が数十年、数百年後の人達に対して学ぶ価値があると思わせることができるのかも疑問だな
哲学は別に新しいことを言う学問ではない
未だに古代ギリシャ哲学や中世、近代の哲学を研究していて、それは今日的な意味でも意義がある
つまり、現代の思想的な基盤になっている地盤を研究しているということ
そうした地盤調査をしてからではないと新しい建物は立てられない
所謂哲学とは違うかもしれんが
http://www.ut-life.net/study/lecture/kagaku-tetsugaku/
東大の科学哲学の先生のお話
これ何ら具体的でない気がする
抽象的で有ることがキモと言われたらそれまでだが
>自分ひとりで哲学をしているわけではなく、できるわけでもないので、
>信頼できる過去の哲学者を自分の研究の対象にするんですが、
>私の場合はウィトゲンシュタインを研究しています
信頼出来るってなにさ
自分に都合がいいってこと?
どんな分野も必ず哲学による仮定や定義づけから始まるんだが
哲学がなかったら電気を使った道具なんて全て消えるわ
哲学を学問として極めることにあまり意味はない
同じ情報を得ても人によって捉え方は千差万別
どの情報をどの深さでどの角度からどう捉えるか
それによって判断をする、または決断を下す時に活かされる
生きていても意味などないのだから哲学しなければならないんだよ
自分が真理に辿り着く事が目的だから、役にもたたないし、終わりもないんじゃないのか?
人間とはなにか?って疑問の答えに、仮に至れた所で誰の役にも立たない。
しかし、それを知りたいと望む強い欲望には抗えない。
知的好奇心といえば聞こえがいいが、自分勝手な欲望ともいえる。
そもそも、世の中に自分の能力を還元することになんか興味がないんだろうな。
多分世界の中にいるよりは、世界を外から眺めるほうが真理には近いんだろう。
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コメント1げっとおおおおおおお≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡c⌒っ゚Д゚)っ ズサーッ!!
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