2011年04月25日
何かと肩身の狭い思いをすることの多いラノベ読みだが、
ライトノベルばかり読んでいても果たして読書となり得るのか?
ライトノベルで人間失格や金閣寺に太刀打ちできるのか?
ちょっと何言ってるのかわからないです
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悪意を込めて意訳
ラノベなんか本に含まねーから、何冊読んでも読書したことになりませーん
人間失格とか金閣寺とか、もっとマシなもん読もうぜ、バカども
もしくは、上みたいなことをどっかでいわれてブルーになっちゃった
言い返したいから何とかしてよドラえもん
こんな感じだろう
小説なんて読書のうちに入りません
読書は読んだあと内容について考えて、それを自分の言葉で文章に出来ないと読む意味がない
良い小説でも糞な小説でも中身を反芻出来ない奴は頁捲って遊んでるだけ、時間の無駄
特に、速読で1時間で読んだ(キリッとか言ってるやつ
最近では森見作品がアニメ化されるなど、一般書籍とライトノベルの境界がますます分かり辛くなってるからな・・・
さすがに人間失格や金閣寺ほどの深さも影響力もあるとは思えないが、その辺のベストセラー程度の読後感は味わえるんじゃね
ゼロの使い魔も装丁を一般寄りにして、文章も推敲して半分程度に凝縮すれば・・・いや、逆にパクリだ何だと叩かれるのが落ちか
ばかにする意味じゃなく伊坂ってラノべだろ?ジャンル的に
教養が得られない限り読書とは呼べない
一般小説だろうがラノベだろうが娯楽にしかならない
読書は単なる行為でしかない
身になる読書もなればならない読書もある
後者だから読書ではないという考え方は本末転倒
「読書」だけならそれは趣味だ。
本を読んで頭に内容がずっと残っているならそれでいいんじゃないのか?
たとえそれがラノベだろうが官能小説だろうが純文学だろうが。
読書を「教養になる」という意味で使ってるなら、教科書に載ってる作家だけ読んでればいいだろう
本を読む行為の中で深い感動を味わうことが出来るか、という意味でならライトノベルも例外ではない
ただその辺は、漫画とおなじように年間何千冊と出版される世界
ピンもあればキリもあるとまあそういうことだ
純文学なんか読んで何になるんだよ
四書五経くらい読めよ。せめて論語でもいいからさ
人の頭の中で空想したあれやこれやを文章に表し残した物が、
結局は小説全般に共通する特徴だろう。
なので、基本的に読んで面白ければ何でも良いと思うが。
そう考えれば、漫画や映画なんかと比べても、本質的な違いはないだろう。
表現方法が違う故の違いというのも、大きいのは大きいだろうが。
このスレ立てた奴は感受性が無いのか?
何を読んでも、何かしら感じる事は無いのか?
それは自分の価値観や思考が決める事だろうに。
先ず「読書」の定義は何なんだ?
何を読んで初めて「読書」って言えるんだ?
お前の物差しで測ってんじゃねぇよ。
分かり辛く詩的で抽象的な文章を書けば高尚なのか
100ページちょいの娯楽に傾倒してる文学作品読んでる方がおっさん受けも良いし内容についても十分人に勧められる
>>26
一般受けしなきゃダメとは言わないまでも、これは面白いと思えるようなものじゃなきゃ、後世に残らないというのは確かだよ
たとえば中国の歴史書、有名な順に挙げていくと、その順番はほぼ面白い順に重なるんだ。三国志は抜きにして
ガーデニングについての本を読んでも読書なんだぜ
それこそ読書の王道である小説を読んだならばそれは立派な読書
ラノベはイラストの印象も強いけど中身は純粋な読書
説明書読むのも読書
ラノベ結構真剣に読んでるけど国語の成績は上がったな
学習能力の有る人間は何を読んでも自分なりに糧とします
学習能力の無い人間は何を読んでも身の肥やしにはなりません
読書が自分を高めるものだというなら、自らの頭で考え自前の感性で感じる、という事さえ出来れば
何を読んでも問題は無い筈。その意味では殊更に「ラノベは読書じゃ無い! 純文学こそ読書だ!」と叫ぶのは
純文学という看板を掲げる事で、形だけ整えて「実は自身では何も考えていない」という事の証拠とも言える
無論、学べる事柄の質や量は一般に名作純文の方が多いのだろうが
そういや学生のころラノベは読書に入らないとかで
朝読書とやらでとられたロードス返してもらってねーな
いちいち読書を高尚なものに祭り上げる中2患者をなんとかして
読書は読書でしょ
一応書物の形態をとっている以上
しょうもないもんとは思うが読みたい奴は読めばいいじゃん
自分の意志で選んであれなんだからそいつの知能に見合ってんだろ
人間失格読んだら何か得るものがあるかと言えば、
それは疑問だがな・・・。
クラシックを聴くか、ロックを聴くかって感じの違いだろう。
未だに高校生の現文の教材にこころが入ってるのは疑問に思う
まああのあたりの時代の小説が芸術として持ち上げられるのは
ただ「文章が美しい」という点においてなんだろう
ストーリーや人間模様は現代においてはインモラルといわれてもしょうがないものも多いし
ただただ茶碗の窯変が美しいとかそういうのと同じ扱いで「文章が美しい」ということなんだろう
どうもラノベ以外知らん人間ってのは、例えば太宰を読んでる人間は
太宰様のご立派で有難いご高説を、無批判にすべて受け入れて、
人生の指針にしているとでも思っているようだな。
太宰自身はむしろ駄目人間なんだよ。
ただ、自分の駄目さを見つめて文章にしたって点が評価されている。
読む側もそういう点を汲んで読んでいる。
太宰の主張を有難がるのではなく、太宰の書いたものを通して、
太宰という人間の内面を見ている。
そういう、きれいごとばかりじゃない人間の内面を知るという意味で、
読み手の教養や人格を高めるというのにもつながってくる。
教養と人格を高める本=偉い人がご高説を垂れてくれる本。
真似をすれば偉くなった気分になれる本、というとらえ方自体が
その程度の読み方しかできない人間ですって自白しているようなもんだ。
本を手にとって読書なんかしちゃう知的な俺を演出することしか考えてない人は
何読んだって一緒。ファッションでしかない
http://mytown.asahi.com/hokkaido/news.php?k_id=01000861011260001
高校生はこれを読め!
「カラマーゾフの兄弟」(ドストエフスキー)
「人間失格」(太宰治)
「海辺のカフカ」(村上春樹)
「夜のピクニック」(恩田陸)
「反貧困」(湯浅誠)
「方法序説」(デカルト)
「まんが道」(藤子不二雄(A))
明治以降、小説が歴史の教科書に載るようなレベルの文化であったのは、
平たく言えば脱亜入欧を目指す指針であったのと、急激な変化についていかなければ
ならないもののなかなかついてはいけないが故の心の軋轢の披瀝を見る事で、銘々に心
のバランスを取ったからだよ。だから読書が教養で必要なことだった。
現在は目指すべき欧米もなく、漠然とした不安はあるが何かに強制的についていかな
ければならないが故の歪というわけでもない。
そういった必要性のバックボーンが無くなってるわけで、本を読むこと自体がかつて
の意味での「読書」足りえない。
ラノベも読書じゃないが、カラマーゾフの兄弟も読書じゃない。
ある意味経営学が全く根付いてない日本に必要なのはもしドラの読書で正解なのかもw
文学界が有難がる私小説の類は読まなくてもいいと思うけどね。
思想的にも後ろ向きだし、どーにも内向的過ぎる。
ああいうのよりは歴史小説とかの方がずっといい。
ぶっちゃけ読書たりえるのかとか文学と言えるかとかどーでもいい
本や漫画を自分の好みじゃなくて文学的価値()
で判断する奴とか果てしなくアホだろ
しっかり書かれたラノべ?
ブギーポップ 電波的な彼女 ハルヒ
化物語あたりはそうだけどラノべの大半が句点で改行したり漢字に振り仮名ついてて小説とは言えない。得るものより漫画の様なただの娯楽にすぎん。
所詮はサブカルだよ。
が、ラノべ読んでたら他の本も読むようにはなるだろう。
>>90
「、」は読点だな。
しかし、おれも昔はライトノベルなんて読書とは言えない、とかぬかしていたクチだが、
ある程度いろいろな作品に触れていると、ライトノベルもそう馬鹿じゃないな、って思うようになってきたよ。
一見、平易と思われる文章の含蓄量とか。ラノベじゃないのに村上春樹の小説なんかは表層だけでラノベ扱いされているな。
結局、こっち優勢と見るや付和雷同する2ちゃんねるの評価。表層だけ舐めて批評家気取っちゃってる。
俺はやっぱり活字として出版されているものには、そうなるに至った人を引き寄せる何かがあると思うんだけどね。
ストーリーを価値の上位に持ってきたら
いわゆる純文学の「名作」は一気に旗色が悪くなるんだぜ
あらすじだけ抜き出したら俗っぽくてくだらないものだらけ
何か役に立ったり教養がつくようなのは読まない主義とか言っちゃうわ、最近は
書を読めば読書だろ。
高級料理くわないと食事じゃないとか言わないだろw
行為の名称としては書を読めば読書なんだけど
それを自分の趣味として(下手すると特技として?)言うとなると
ある程度分析的な読み込み方ができるレベルでないとねー
ただ読むだけなんて、テレビを流し見するのと同じレベルの「娯楽」とか「暇つぶし」で
趣味と呼ぶには値しませんよ。
ラノベは漫画と同じだろ
漫画を読むのを読書と言うなら読書
違うなら違う
個人の感覚の問題だわな
萌系ラノベの隆盛をみてると、日本人ってホントに馬鹿になっちまったんだなって思う。
心血注いで物事の本質や答えを捉えようとする小説は売れず、
ティーンがでてきてワーキャーしてるだけの読み物が売れるんだからな。
ラノベを見てると、なんだか先達に申し訳ない。
世界に誇れるような日本文学の土壌が汚染されている気がしてならない。
「天地明察」読んでみたけど、漫画的なノリと展開にがっかりしたって記憶があるな。
これと同時期に町田康の「告白」読んでいたけど、天と地ほどの差があるわな。
パンクロッカーにもラノベ書きは劣るんかい?
ラノベ業界全体で質の高みを目指せよ、売る事ばっか考えてねぇでよ。
ポルノ産業かよ。
スワロウテイル人工少女販売処読んでる面白いな
ハヤカワ文庫JAだから一般だよね読書してるぜ
何か心に感じたら読書でいいんじゃない?
コメント1げっとおおおおおおお≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡c⌒っ゚Д゚)っ ズサーッ!!
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